世界には見たことも聞いたこともない地域や風習があり、旅好きの憧れの的となっている。新生物ハンターのカンナは山岳地や離島へ渡り、珍しい生き物を探し出して旅レポを発信している若者だ。
彼は先日、離島で偶然見つけた煮干しから生まれる羽根カエルに夢中で、その煮干しの製造元をついに突き止めた。それを入手したカンナは閑静な住宅街にあるペンションを借りて羽根カエルが羽化するのを待っていた。しかし月夜の晩、目を離した隙にそれは激しく回転して弾丸のように窓の網戸を突き破りドローンさながら宙を駆け抜けていったのだ。脚が自慢の彼はすぐ追いかけたが古い洋館の柵をジャンプして芝生で受け身をした時、正面にブランコに腰かけて微笑む若い女を見て、すぐに声をかけた。
「今、ドローンを見なかった? どこへ行った?」
ワンピースの女は奥の生垣を指さして、すぐに首を振った。しかし急いでいる彼は「サンキュー」と言い残し、その茂みに飛び込んだが奥にあった崖下に転落して気を失ったのだ。
「大丈夫? お怪我はない?」
彼女は濡らしたハンカチをカンナの額にあてると、彼は目を覚まし立ち上がろうとしたが、すぐふらついてしゃがみこんだ。
「もう少し休んだら?」彼女は草むらに自分のジャケットを敷いてくれたので、彼は追跡をあきらめて、おとなしく横たわった。すると彼女は興味深げに話しかけてきた。
「あのドローンはそんなに珍しいの? 時々見かけるわよ」
「そう、あれは幻の生き物だよ。魚のように泳ぎはするが、やがてカエルみたいに手足が生えて陸地で蛹になる。そしてトンボのように羽化するものだと思い、僕は羽根カエルと名付けてずっと追い続けているのさ」
「手足は何本生えているの?」
「カエルと一緒、前足と後ろ足の四本さ」
「羽根を持つ四本足の生き物は珍しいわね。でも捕まえてどうするの?」
「大学教授に渡して研究してもらうのさ」
「面白そうね。明日も捜すのかしら?」
「そのためにこの街に来たのさ」
「私も手伝うわ? 以前見た場所があるからそこへ明日行きましょう」
二人は翌日もその翌日も夕方まで捜したがなんの痕跡も見つけることができなかった。そして夕暮れになり河原の岩に座って、二人は猫目になった月を眺めていた。
「あなたから羽根カエルのお話を聞いて、子供のころ仲良しだった友人の事を思い出したわ」
女は懐かしむように友達のことを話しだした。
「子供のころからいつも遊んでいたけど二人共大人になってからは、彼女は会うたびに竜神の糸の巫女にいつ選ばれるか心配だと話していたの」
「竜神の糸?」カンナは身を乗り出して尋ねた。
「その村の女の子は初潮を迎えると巫女に選ばれるしきたりらしいのよ」
「しきたり?」
「満月の深夜、空から垂れた糸を登る村の神事なの」
「その先に何があるの?」
彼は不思議な話を聞いて嬉しくなった。
「天上まで登り続け不老長寿の花を持ち帰ればその娘には伴侶が授けられ、家族や村が栄えるという儀式。でも途中で力尽きてしまうと……」
「それで彼女は結婚できたの?」
「彼女だけ消えたわ。祭りが終わった後に神事を見ていた村人に聞いてもそんな女は最初から存在しないとみんな口をそろえるから、触れてはいけない事だと思ってずっと黙ってきたのよ。彼女は竜神の嫁になってどこかで暮らしているのかもしれない……」
カンナは微笑みながら尋ねた。
「月はいつも同じ顔をこちらに向けているけど不思議だよね」
「なぜ話をすり替えるの?」
「僕が求めているのは羽根カエルだけじゃない。不思議なことが大好きでそれを分かってもらいたくて話題を変えたのさ」
「そう、それならどうして月はいつも同じ顔を見せるのかしら?」
「月の自転と公転の周期が完全に一致しているからと学者は言うけど僕は信じていない」
「難しい話?」
「いいや、きっと月は地球と糸で繋がっていて凧のようにこちらを向いているだけさ」
「凧の糸? だからその話をしたのね」
「そうじゃないよ、実は僕の両親は幼いころ交通事故で亡くなり、育ててくれた乳母が『あなたの両親はあの月から見守っているから回らずにずっとあなたを追いかけているのよ』と聞かされて子供心に納得しただけさ」
「人は最後に月へ招かれるのかしら?」
「現世の色から剥がされた心の行き先さ」
「だから月明りで照らされる風景はいつもモノクロームなのね」
「そう、月は冥界の瞳さ」
「ふふっ……、やっとわかったわ。あの糸は月と繋がっていたのよ。お礼に私の羽根を見せてあげる……、ごふっ、ごふっ……」
咳き込んだ彼女は背中を丸めてうずくまると激しい息を繰り返した。そして胸のあたりをもぞもぞさせると折りたたまれていた細い両脚がワンピースを突き破り地面に爪を立ててカゲロウのように体を支えた。すると今度は背中の肩甲骨が風船のように少しずつ膨らみ皮膚が透明になるくらい大きくなったときに破裂した。そこに現れたのはタンポポの綿毛のような翼だった。彼女は脈動するようにそれを静かに広げて羽ばたきながら夜空へ飛びたった。
「初めてあなたと会った時、この神秘の島や我々一族をを破壊する者だと思った。もしそうだったら喰ってやろうと何日かつき合ってみたけど、あなたは本当に探究者だったわ。でも私はあなたのお目当ての羽根カエルじゃないし、あれはもうこの島にはいない。でも近いうちにまたあなたの前に現れるはずよ、早く見つかるといいわね……」
上空から彼女の声が届き、河原に残されたカンナは蒼く透明な月を見上げてつぶやいた。
「ブランコに座っていた彼女は羽根カエルの分身だとずっと思っていたけど、いまわかったよ。彼女こそあの竜神の糸の巫女で、月にいる母さんが僕を心配して寄こした冥界の使者なんだと……」
了
2022年 春
2023編
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