うみのしま

 世界には聞いたこともない地域や風習があり、辿り着くのに不便な所ほど固有の文化や自然がそのまま残っていて、旅好きには憧れの的となっている。だから僕は山岳地や離島へ渡り、レアな旅レポを発信している。
 僕はカンナ。今回は島民五千人、周長三十キロの緑豊かな島が取材地だ。出張はいつも助手の青年と一緒だが、この業界も人手不足。今月からは会社から貸与された生物型AIと一緒に過ごすことになる。見かけはしなやかに歩くネコそのものでピノと名付けた。
 宿泊は港の外れにある滞在型のリゾートホテル。林の中にコテージが点在し、レストランも用意されているが、金がかかるので自炊することにした。

「ピノ、レンタサイクルを頼む」
「一週間の予約をとっているポム」とすぐ応えてくれた。
「因みに、語尾の『ぽむ』ってなに?」
「呼び名にシンクロさせた終助詞ポム」と彼は目も合わさずそのあとも黙ったままだ。

 翌日も晴天で雲ひとつない青空が広がっていた。自転車で半時間くらい走ると海辺から子供たちの歓声が聞こえる。砂浜で男の子同士が肩車を組んで騎馬戦をしているようだ。しかしそのすぐ横で女の子が似つかわしくない弓矢飛ばしの練習をしていた。不思議に思いながら付近の駄菓子屋のベンチで休憩していると、さっきの子供たちもジュース片手にやって来たのですぐに話しかけた。

「騎馬戦や弓矢遊びで、お母さんに叱られないかい?」
「お祭りの練習だから大丈夫!」
「何のお祭り?」
「火祭りだよ」
「どこでやるの?」
「この少し先にある海の島だよ!」

 コーラを飲み終えて、火祭りのことを考えながら走ると、堤防越しに五メートル角ほどの平らな島が、遠浅の海から顔を出しているのが見えた。

 ホテルに戻るとピノとナイトミーティングを始めた。
「ピノ、ここの人気スポットは」
「マリンスポーツと泥湯温泉ポム」
「さっきの火祭りは」
「海の島で松明を灯す祭りポム」
「それだけ?」
「それ以上の情報がないポム」
「しようがないな!それじゃ酒を飲むから静かな音楽でもかけてくれ」

 少し疲れたので音楽を頼むと大好きなロックミュージックがピノの身体から静かに流れてきた。しかし彼は得意気な顔もせず相変わらず目も合わせてくれない。

 翌朝、港町で祭りの準備をしている青年団に、火祭りの取材をしたが忙しいからと取り合ってくれない。そのあとも商店や市場を巡ったが誰に尋ねてもその話になるとよそ者の僕には排他的な雰囲気になる。だから僕はますますその祭りに興味が湧いたのだった。

 昼過ぎに部屋に着くと何かが跳ねる音がした。流し台のボウルに目をやると、水で戻した煮干しに混ざり、銀色の小さな魚が泳いでいる。
「ピノ、煮干しって生き返るのか?」
「それはないポム」
 しかし元気に泳ぎふやけた煮干しをついばんでいる。せっかくだからボウルをそのままにして魚の様子をみることにした。

 翌日、取材の帰りに少し大きめのアクリルの水槽を買い、ゆっくりボウルから水ごと移すと魚が2匹に増えていた。
「いいぞ、思ったとおりだ!」
 泳ぎまわる魚をアテにして、にやけながら島焼酎の夜は更けていった。翌朝起きてすぐに魚を見たが、期待外れでそれ以上増えてはいなかった。しかし体長が二センチになり、ヒレの部分が変形して四本の足のようなものが生えていた。
「こいつらは両生類か?」
 そうだとしたらそのうちに口で呼吸するかもしれないので、陸で休憩できるように平らな石を置いてやると、二匹は仲良く登ったり、泳いだりを繰り返した。
「新種のカエルだ!これは高く売れるかも?」
 すぐに商売のことを考えたが、ピノはちょこんとテーブルに座り水槽のカエルを凝視している。どうも内蔵カメラで生態を録画しているようだ。

 その後も熱心にピノを一緒に連れて港へ通い続けていると、単に動物が好きな純朴な人間だと思われたのか僕への警戒心も解け、顔馴染みになった若い女からようやく祭りの詳細を聞くことができた。
 彼女によると、その昔ひとりで漁に出た妊婦の海女が夕暮れ時に急に産気づき、助けも呼べず月の光を頼りにあの平らな島にどうにか登り無事出産したことが由来だった。それ以来島民は毎年同じ満月の夜に松明を島に灯して、産みの島祭りと呼んで安産祈願をしているらしい。その話を頷きながら興味ある体で聞いてあげたが、みんなが秘密にしていた割にはよくある話だったので、祭りのことよりも新種のカエルに期待することにした。

 祭りの当日。砂浜に入れるのは大人だけで、子供らは少し離れたコンクリートの堤防に座っていた。浜には大きなテントが設けられ、昼過ぎから数十人の漁師と海女が車座になって島焼酎を酌み交わしている。僕はカメラなしの手ぶら入場を許可され、その輪に入り数時間一緒に飲み食いしながら取材を続けていたが、日の入りと同時に一人の島民が声をあげて東にある海女小屋の方を指さすと全員から拍手が沸き起こった。

 何が起こったのかと驚いて振り返ると、小屋から全裸の若者が男女七組、手を繋ぎ厳かに出てきたのだ。それも全員麻の腰布だけで、頭から爪先まで白く泥を塗り女は弓矢を携えている。そして彼らは一組ずつ立ち止まり、波打ち際で全身に夕陽を浴びながら整列して海の彼方を向いて静止したのだ。彼らの視線の先には、産みの島の上に三角錐に組んだばかり松明があった。

「子供を砂浜に入れない理由がやっとわかりましたよ」
「自分らも若い時にこの祭りで大人の仲間入りをしたんだ」
「これは成人式ですか?」
「そう、これがこの島に密かに伝わる大人の祭りだ」

 そうしているうちに太陽が水平線に完全に沈み、あたりは完全に暗くなった。すると誰かが松明の頂部に置かれた行灯に火が点け、その合図で若者の男は女を肩に担ぎ、松明まであと十数メートルの胸元に波が寄せる所まで慎重に歩き、静かに腰を落として構えた。
 すると女は男の両肩に立ち上がり、松明へ向けて矢を放ち始めたのだ。しかしバランスを崩して海に落ち、泥が剥れた男女は恥ずかしそうに素っ裸のまま浜へ戻り白装束に着替えるしかなかった。ようやく誰かの矢が行灯に命中し、種火ごと壊れて下に落ち、松明は大きな炎に包まれた。その天をも灯す炎を浜から眺めていた島民たちは火祭りが成就したことに歓喜して、隣の女と肩を組んだり、島唄を歌いだしたりしてさらに酒を酌み交わし始めた。やがて白装束に着替えた若者たちも全員そろってその輪に加わり、男女入り乱れた酒宴は夜遅くまで続いたのだった。

 取材終了後の夜遅くにピノと急いで部屋へ戻った。想定外にエロティックだった火祭りはピノが両目でしっかり録画していた。その編集もあるが、数日前から石の上で固まって蛹のように動かなくなったカエルが気になって仕方なかったからだ。
 部屋の明かりをつけると玄関にとまっていた虫かトンボが羽ばたいてドアのすきまから飛んで出て行った。それを手で払うようにしてテーブルへ近づいた。
 そっと水槽のなかでふたつの蛹を覗いた。しかしそこにはぱっくりと割れて中空になった半透明の抜け殻があるだけだった。部屋を見まわしたがどこにも成体らしき生きものは見当たらなかった。どこへ逃げて行ったのか途方に暮れて唖然として立ち尽くしていると、ピノが初めて目を合わせてニャーゴと鳴いてくれた。

 了


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